【読みもの】『パソコンとヒッピー』ができるまで 連載5回目

【連載5回目】
『パソコンとヒッピー』ができるまで
雑誌『スペクテイター』の冒険、その現在地
取材・構成 桜井通開
青野利光インタビュー
『スペクテイター』発行人である青野利光さんに、『スペクテイター』をはじめたきっかけや、好きな雑誌などについて、お話をうかがいました。
『バァフアウト!』をはじめたきっかけ
───雑誌『Bar-f-Out!』(以下『バァフアウト!』)創刊に参加したきっかけは、どんなものだったのでしょうか。
青野 『バァフアウト!』の「はじまり」は、青山の 〈MIX〉というクラブで1990年の3月から毎月1回開催していた音楽イベント「Club Cool Resistance」のフライヤーを兼ねたフリーペーパーでした。詩人を志していた山崎二郎氏(『バァフアウト!』現発行人)のポエトリーと、青野が描いた下手なイラストを組み合わせてつくった版下を藁半紙にコピー機で刷り、「Press Cool Resistance」という名前をつけて配布したのが最初でした。山崎氏とは大学時代にアルバイト先で知り合い、「なにか表現活動をしたいよね」という話で盛り上がって、音楽イベントとフリーペーパーづくりをすることにしたのです。ペラ1枚なので、ZINEというにはお粗末ですが、それでも自分たちのメディアが持てた喜びがありました。

1回目のイベントに客として遊びに来てくれた北沢夏音氏(フリー編集者/ライター)が途中から編集として参加してくれたおかげで、フリーペーパーも読み応えのあるものになりました。その後、山崎氏がレコード会社から集めてきた広告費を元手に、1992年の夏に刊行したのが『バァフアウト!』創刊準備号です。
好きだった雑誌、影響をうけた雑誌
───『バァフアウト!』をやる以前に、好きだった雑誌、影響をうけた雑誌について教えてください。
青野 1980年代は「雑誌の時代」と呼ばれるくらい多種多様な雑誌が書店の棚を賑わせていた時代でしたよね。インターネットもなかった当時、若者がカルチャーの情報を入手する手段といえば、ラジオか、レコード店のセンパイからの口コミ情報か、雑誌くらいしかなかったのです。それで僕も、小学6年生の頃から背伸びして雑誌を買い集めるようになりました。『POPEYE』、街歩きの雑誌『Angle』、アウトドア系の『Be-Pal』、アート系の『TRA』、秋山道男の『熱中なんでもブック』、佐野元春の『This』、『ビックリハウス』、『写楽』など、街の書店で買えるおもしろそうな雑誌を、可能な限り毎号買うようにしていました。
───すごいですね。小学生のころから雑誌狂だったんですね。
青野 とりわけ、橘川幸夫さんの『ポンプ』には刺激を受けました。すべての記事が読者からの投稿だけでつくられている、ちょっと変わったコンセプトの雑誌です。学園生活や家庭での出来事、アルバイトや性体験などについて赤裸々に綴られた原稿が載っていて、一般誌にはない解放区のような自由さがありました。ある投稿に対する投稿が次号に掲載され、そこから議論が続いていったりと、現在SNSでやっていることをアナログな方法でやっていた雑誌という印象です。

雑誌は「知らない世界を見せてくれる」
───『ポンプ』は岡崎京子さんが投稿していたことでも有名ですね。雑誌はたしかに、いまのインターネットやSNSにつうじるものがありましたね。
青野 1980年代の雑誌は個性的なものが多かったですね。ビジネスマンが読む自己啓発雑誌とかオカルトっぽいのとか左翼っぽいのとか。現在だったらYouTubeがそれにあたるのでしょうが、当時は雑誌が唯一、窓の向こうに広がっている知らない世界を見せてくれるメディアでした。いまでも雑誌に希望や期待を抱いてしまうのは、当時のそうした体験があるからだと思います。
『スペクテイター』をはじめたきっかけ
───私も1980年代の雑誌を読んで育ったので、よくわかります。『バァフアウト!』のあと、『スペクテイター』をはじめたきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
青野 商業的には成功し、音楽雑誌としての役割を担うようになっていった『バァフアウト!』でしたが、レコード会社の広告出稿とバーターでタイアップ記事を求められるようになるにつれて、やりがいを感じられなくなり、1990年代の後半頃からは自分の雑誌をつくりたいと思うようになりました。ある日、某アパレル企業がスポンサーになり、海外のファッションデザイナーやアーティストの取材をしてムック本をつくる、という仕事をすることになりました。海外取材は過去にも経験したことがありましたが、ロンドンやパリに1か月近く滞在して、現地の人たちのライフをじっくり取材するのは初めての体験。それがとても楽しくて、「次に自分の雑誌をやるのなら、こんなふうに作ろう!」と心に決めました。長期滞在のおかげで生活者の視点とシンクロすることができて、日本では紹介されていないライフスタイルやカルチャーがあるじゃないか、と気づいたのでした。音楽業界を相手に広告タイアップ記事をつくるよりも、自分自身が主役となって体験したことを、独自の視点でレポートしたほうが面白いじゃん! ということで、以前の会社から独立して、『スペクテイター』という新たな旗を掲げることになったのでした。
───広告タイアップではなく、世界の現地カルチャーを取材して紹介したい、というところから、『スペクテイター』がはじまったわけですね。
青野 トラベル&ジャーナリズムみたいなコンセプトで取材を始めました。ジャーナリズムの部分は、赤田さんが『Quick Japan』創刊号でぶち上げていた「ニュー・エイジ・ジャーナリズム宣言」(「独断でない雑誌や偏見でない中立な雑誌がはたして面白いでしょうか?」)に感化されたものでした。ただし、『Quick Japan』は「All the Street News That’s Fit to Print」をタグラインとしてたけど、こっちは「Street」というよりは「海外のユースカルチャー」という感じかな、と考えていました。
赤田さんの参加
───赤田さんと出会ったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
青野 赤田さんの提案で、1994年頃から『バァフアウト!』と『Quick Japan』が交換広告をすることになりました。その担当(広告をつくったり引き取ったり)を僕がやることになり、『Quick Japan』の出版元である太田出版で初めて会いました。交換広告は5、6回ほど続けた気がします。
───赤田さんの参加によって、『スペクテイター』はどう変わったと思いますか?
青野 抽象的ですが、それまでは未知の世界を探しに海外など「外側」にばかり目を向けていたけれど、マンガや文学作品などの作り手の頭の「内側」にも掘り下げるべき世界が広がっていると思えるようになりました。おかげで取材の幅が広がりました。
───赤田さんは以前から、寄稿者として『スペクテイター』にかかわっていたのですよね。
青野 本格加入は震災後ですが、2002年(vol.7)にコラムを寄稿してもらったのを最初に、2005年(vol.13)からは「STORY TELLING」という人物インタビュー連載を、2009年(vol.20)からは連載記事「『COM』の時代――あるマンガ雑誌の回想 1967-1973」を担当してもらいました。
青野さんの役割
───赤田さんがジョインして、青野さんの役割は、どのように変わったのでしょうか。
青野 『スペクテイター』の初期は青野がインディペンデント映画の監督のように、配役、テーマ、演出を一人で担当していましたが、現在は赤田さんが監督で青野はプロデューサーみたいな感じになっています。角川映画の「金田一耕助シリーズ」における角川春樹と市川崑のような関係…といっても若い人には何のことかわからないかも知れませんが。
───青野さんはプロデューサーとして、赤田さんが監督として動きやすいように、サポートする役割ということですね。
青野 僕は自分の肩書きや立場にあまりこだわりがなく、面白い雑誌がつくれるのならば、誰がトップになっても良いと思うのです。それに、雑誌の特集というのは、ひとりの編集者の妄想が暴走すればするほど独創性が高く面白いものになると思うので、赤田さんに本格加入してもらうときに、「今後は編集長になったつもりで遠慮なく特集を仕切ってください」と伝えました。
「パソコンとヒッピー」特集と『ホール・アース・カタログ』
───今回の単行本のもとになった「パソコンとヒッピー」特集(2021年、Vol.48)は、これまでの『スペクテイター』のなかで、どのような位置にあると考えますか?
青野 「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」というお決まりの問いに対する現時点での最終解のようなものだと思っています。『ホール・アース・カタログ』とは何だったのかという問いとも通じていると思うのですが。
───「パソコンとヒッピー」のもとになっているのが、『ホール・アース・カタログ』特集の2冊(Vol.29、Vol.30)というのは、とてもよくわかります。
『スペクテイター』の「自分さがしのQUEST(探求の旅)」
青野 『スペクテイター』vol.10(2003)で、赤田さんが取材して「検証・カタログ文化はどこからきたか? 第一部『暮しの手帖』のルーツをさぐる」という記事をつくりました。当時の手帖社の代表だった大橋鎮子さんにインタビューをしたのですが、この取材の最後に、赤田さんが『手帖』の編集姿勢は『ホール・アース・カタログ』とすこし似ていると話をして、大橋さんは「私、存じあげないんですね」とおっしゃっていましたけど、個人的にはそこから『ホール・アース・カタログ』のことが気になり始めました。

『ホール・アース・カタログ』に影響を受けた『POPEYE』や『宝島』など1970年代のカルチャー誌に影響を受けて雑誌づくりをしている自分のルーツは何か? という疑問が湧いて、『ホール・アース・カタログ』が誕生したカウンター&ヒッピー・カルチャー時代のことを知りたいと思うようになったのです。いわば、『スペクテイター』の「自分さがしのQUEST(探求の旅)」がはじまったというか。
───『ホール・アース・カタログ』特集の2冊のまえに、まずそこから『ホール・アース・カタログ』へのこだわりがはじまっていたのですね。
青野 『スペクテイター』は創刊号で「Alternative Life」という特集を組みました。簡単に言うと現代のヒッピーとは何かを問うような内容で、その延長上に後の『ホール・アース・カタログ』特集号や「自然って何だろうか」や『ヒッピーの教科書』や今回の『パソコンとヒッピー』があるように思えます。
───よくわかります。「自然って何だろうか」特集は、『ホール・アース・カタログ』のスチュアート・ブランドが書いた『地球の論点』という本がメインテーマのひとつで、『ホール・アース・カタログ』とはなんだったのかをふりかえる内容でもあり、「パソコンとヒッピー」特集と対をなすものといえると思います。
青野 近年はスチュアート・ブランドが高齢になったせいもあり、『ホール・アース・カタログ』をめぐる新しい動きもなさそうなので、この本を出すことでQUESTもひと段落かなと思っていますが。
『スペクテイター』の個性
───『スペクテイター』という雑誌の個性、おもしろさは、どういったところにあると考えますか。
青野 これは面白いと思えるテーマを、忖度なしに追求しようとするアティチュード、という感じでしょうか。
───『スペクテイター』を読んだことがある人であれば、それは誌面からつたわっていると思います。
青野 加えて、ある文化を掘り起こして咀嚼して新たな作品として提示する編集的なセンス。うまく言葉にするのが難しいのですが、例えば、カリブの文化を巧みに取り入れてコンセプト・アルバムに仕上げたVan Dyke Parks『Discover America』や、アフリカの伝統音楽とブルースを融合させたAli Farka Toure & Ry Cooder『Talking Timbuktu』のような作品を目指したいと思っています。
いまおもしろい雑誌、最近の興味
───音楽マニア以外には、ちょっとむずかしいたとえですね(笑)ようするに、ナマのものを咀嚼して、わかりやすくする、ということですね。『スペクテイター』以外で、いまおもしろいと思う雑誌はありますでしょうか?
青野 写真家の平野太呂さん(平野甲賀の息子)が発行人をつとめる釣り人の同人誌『off the hook』、アウトドアライター森山伸也さんのスキーの同人誌『FREE HEEL BOOK』、人文編集者が編集するZINE『おてあげ』などは続けて購入しています。いずれも雑誌というよりは同人誌なのですが、雑誌は総合誌から同人誌へと変化しつつある時代なのかなと、時代の変化を感じながら購読しています。
───たしかに、いまは同人誌の時代になりつつあるかもしれませんね。そのほか、青野さんの最近の興味の対象などありましたら、教えてください。
青野 雑誌づくりとは直接関係ないのですが、個人的な関心事としては、(1)トランプに攻撃され不利な立場に立たされている西海岸リベラル派の今後、(2)デジタル環境の変化によりアイデンティティを失っているように思える人々にとっての次の〝大きな物語〟とは何か、(3)ジオ・エンジニアリング、バイオ・エンジニアリングのような先端科学技術が今後の社会をどう変えていくか、といったことでしょうか。
───このあたりのテーマは、「文化戦争」特集、「自己啓発のひみつ」特集、「自然って何だろうか」特集とも、関係があるものですね。今後の『スペクテイター』がどういった特集を組むのかも、楽しみにしています。(⑥へつづく)
