【読みもの】『パソコンとヒッピー』ができるまで 連載4回目

【連載4回目】

『パソコンとヒッピー』ができるまで

雑誌『スペクテイター』の冒険、その現在地

取材・構成 桜井通開


赤田祐一インタビュー2

『パソコンとヒッピー』原作者であり、『スペクテイター』編集者でもある赤田祐一さんに、マンガ原作をはじめた経緯などについて、お話をうかがいました。


最初のマンガ原作

───関根さんとのコラボ以前に、赤田さんはマンガ原作というものを、これまでされたことはあったのでしょうか。

赤田 2012年に、「これからのコミュニティ」(Vol.25)という号をつくりました。震災の翌年で、コミュニティとか、サバイバルといった話題が入っている号なんですが、そこで「アーバン・パーマカルチャー講座」というのを紹介しました。たしか青野から教わったのですが、ソーヤー・海(かい)さんというユニークな人がいて。彼はヒッピーの第二世代で、たしかお母さんがほびっと村の講座に参加してたというような人。パーマカルチャーの活動をやっている。彼の動きとかキャラクターがおもしろそうだったので、会いに行って話をきいて、ソーヤーさんのライフスタイルや自伝的な内容を僕がストーリー化して、10ページくらいで、コマ割りのマンガにしました。

スペクテイターVol.25 これからのコミュニティ

顔がデカイ、1.5等身くらいのマンガちっくな画で。そのマンガを誰に描いてもらうか、青野に相談したんです。『スニッフィン・グルー』というロンドンのパンクZINEみたいな、いい意味で味がある、RAW(ロウ)なテイストで画を描ける知り合いはいないか、ときいてみたら、「阿部がいいんじゃないの」と教わったんです。阿部さんは、イルドーザーという有名なデザインチームのメンバーで、かれらが『スペクテイター』の創刊号から誌面に、アートディレクションで、かかわってくれていた。青野によれば、阿部さんはべつに、専業のイラストレーターということでもなく、スケボーの愛好者でクラブDJで、彼ならパンクのような感覚を理解してくれるんじゃないのと聞いて、依頼したんです。

───阿部さんとのコラボは、どのようなすすめかただったのでしょうか。

赤田 僕が撮影したソーヤー・海さんの顔写真をゼロックスでコピーしたものを、阿部さんに何種類かわたして、笑い顔とか、横向きの顔とか、何種類かの顔をパターンにつくって、そこにちっちゃなボディをつけて、マンガチックな人形劇みたいにして、それで構成する、というかんじで制作してもらいました。

「まんが アーバンパーマカルチャー入門」作画・阿部周平

───顔がデカくて、ちっちゃいボディというのは、ギャグマンガなどに多いですよね。

赤田 めちゃくちゃ古い話で恐縮ですが、若き日の赤塚不二夫さんが『少年サンデー』に「おそ松くん」を描いてたとき、フジオ・プロのアシスタントが、六つ子の表情をパターン分類したものをカミヤキ化して、シールのようにした顔を、マンガの原稿にノリで貼り付けてたという逸話があるんですけど。赤塚さんの場合は当時、省力化でそのようにしたそうなのですが、その「フジオ・プロ方式」にちかいようなものですよね。まあ、そうでもないか(笑)。阿部さんと組んだときが、マンガ原作みたいなことを手がけさせてもらったことの最初でしたね。

マンガ原作をはじめたことは「必然」

───『スペクテイター』でそれをやる以前に、マンガ原作のようなことをされたことはなかったのでしょうか。

赤田 なかったですね。

───赤田さんは若いころから、マンガが興味の対象だったと思いますが、ご自身でマンガを描いてみようと思ったことはないのでしょうか。

赤田 小学生のころ、秋田書店の『マンガ家入門』を読んで、石森(石ノ森)章太郎先生の作品や世界観に憧れて、ちょっとだけ練習してみたことがありますが、一本をかきあげる根気が続かなくて、やめてしまいました。

───そうなんですね。それでも、若いころからずっとマンガが好きだったというのが、いまこうして、マンガを媒体として、手段として選んでいる、ということにつながっていると思いますね。

『少年のためのマンガ家入門』石森章太郎(秋田書店)

赤田 マンガ原作なんてこれまでやったことがなかったのに、『スペクテイター』でやりはじめたというのは、ある種の必然と思ってるんです。必然というのは、『スペクテイター』はちいさな雑誌で、僕が入る前も、青野と、片岡という2人しかいなくて、2人プラス、デザイナーも2人とかです。2人で運営していて、年に2回しか出ない編集会社で。それを毎度、ぜんぶ、手作業でつくっている。よく冗談ぽくいってるんですが、「手づくり味噌」のような雑誌です。で、青野も片岡も、出版社勤務の経験とか、ないんですね。

『スペクテイター』は「手づくり味噌」

───青野さんは、そのまえに『バァフアウト!』をやっていましたよね。

赤田 『バァフアウト!』は、クラブのような場所で配布するフリーペーパーから始まった雑誌で、大部数追求型の商業誌とは、出自からちがっていた。で、自慢でもなんでもないんですけど、僕は商業出版の経験がけっこうあるんです。ベストセラーを出すことしか考えるな、みたいな版元に、かれこれ10数年、いましたから。何がちがうかというと、『スペクテイター』は最初から、編集者自身が取材して書く、執筆する、ということがあたりまえで、『スペクテイター』の創刊号でも、青野は編集長でありながら、みずから取材をして、記事を書いて、編集して、さらに広告あつめもやる。僕はそれまで、自分でなにかを書くということは、あまりやってこなかったんですよね。商業出版社では、編集者は、企画に適した筆者を見つけてきて、本を書かせることがなによりの仕事で、基本的に、編集者は書かない、というか、書くなと言われ、そのように教育されてきた。まあ、じっさいの話、編集だけで手一杯なので、編集しながら書くことは、なかなかむずかしい。しかし『スペクテイター』は小さな所帯なので、編集者が自分で書くしかないような状況があって。それが「必然」といった意味です。僕もそういう場所に入ったので、いやおうなしに自分でも書くようになって、「手づくり味噌」をせっせとつくっている、ということだと思いますね。

───『Quick Japan』を立ちあげたときは、赤田さんはご自身では書いていなかったのでしょうか。

赤田 書いてないです。初期の号ではロング・インタビューとか何本かやりましたけど、基本的には発注原稿です。編集しながら書くというのは大変なことで、自分のキャパシティ的にも、できなかったですね。(⑤へつづく)

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単行本
『パソコンとヒッピー』


発売日 2025425

定価 1,600円(税別)