【読みもの】『パソコンとヒッピー』ができるまで 連載6回目

【連載6回目】
『パソコンとヒッピー』ができるまで
雑誌『スペクテイター』の冒険、その現在地
取材・構成 桜井通開
赤田祐一インタビュー3
『スペクテイター』編集者の赤田祐一さんに、「パソコンとヒッピー」特集にいたる『スペクテイター』の歩みや、『ホール・アース・カタログ』などについて、お話をうかがいました。
「パソコンとヒッピー」特集
───今回の単行本の『パソコンとヒッピー』は、昨年の単行本『ヒッピーの教科書』につづく、第2弾ですね。どのようにして、これを単行本にしよう、ということが決まったのでしょうか。
赤田 「パソコンとヒッピー」特集(2021年、Vol.48)が好評で、完売していました。そのマンガの部分をとりだして、単行本にしたらいいんじゃないかと思って。「ヒッピーの教科書」特集(2019年、Vol.44)から、単行本の『ヒッピーの教科書』をつくったのとおなじですね。またまたヒッピーでワンパターン気味ですが。
───「パソコンとヒッピー」特集は、出た当初から好評だったようですが、高城剛さんがメルマガで紹介したらしく、それがウェブに掲載されて、評判がひろがったようですね。
赤田 そのようですね。高城剛さんの弟子のような方が、ウェブにのせてくれたようです。
ヒッピーとパソコンの中間
───「パソコンとヒッピー」特集が革新的だったのは、ヒッピーにパソコンをむすびつけたところだと思うんです。日本だと、パソコンやコンピュータは、パソコンやコンピュータの雑誌では語られてきたけれども、カルチャーの雑誌がパソコンをとりあげることは、あまりない。
赤田 サブカルチャーとコンピュータがむすびつくのは、『GURU』とか『DIGITAL BOY』、『CAPE X』、『ワイアード』とか、すこしはあったんだけど、日本ではマイナーな存在でしょうね。
───なつかしい雑誌のなまえが出てきましたね(笑) 私もそのへんは読んでいました。『ワイアード』は、(カルチャーとコンピュータのむすびつきでは)本家といえますね(米国の『WIRED』が)。
赤田 日本では、ヒッピーにくわしい人はヒッピー語でしゃべる、パソコンにくわしい人はパソコン語でしゃべる、というかんじで、その中間がない。そこを狙いたかった、というのはありますね。
───たしかに、言語も、価値観も、ぜんぜんちがいますよね。
赤田 その中間があるんじゃないか、というのが、スティーブ・ジョブズのスピーチ(スタンフォード大学、2005年 『ホール・アース・カタログ』に言及・紹介したことで有名)とか、『ハッカーズ』の本(スティーブン・レビー)とか、いろいろ見ていって、思ったんですね。一種の隙間ねらいです。

『ホール・アース・カタログ』
───よくわかります。そのパソコンとヒッピーのむすびつき、そのベースにあるのが、やはり『ホール・アース・カタログ』ですよね。
赤田 そうですね。『ホール・アース・カタログ』の特集のとき、アメリカに取材にいって、確信しましたね。ハワード・ラインゴールドさんの家とか行くと、マンダラとか、バリ島のカミの仮面とか、サイケデリックなポスターなどが、壁に、きれいに貼ってあるんですよ。
───完全にヒッピーですね。
赤田 そう、それまでも文献上では知ってましたが、こういう人たちがやはり、WELLとかハッカー会議とか、コンピュータの文化を手さぐりでつくってきたんだと。そのことが、文献だけではなく、実感として、つたわってくるものがありました。
───そうですよね。この『ホール・アース・カタログ』の特集がベースで、このときに学んだことが、たくさんあったのではないかと思います。
赤田 ありますね。「パソコンとヒッピー」特集は、それの応用編みたいなものかもしれない。
スティーブ・ジョブズのスピーチ
───完全にそうだと思います。『ホール・アース・カタログ』特集の延長上にある。
赤田 わかりやすいのは、やはりスティーブ・ジョブズのスピーチですね。これが世界的に有名になって、あのアップル社のジョブズが言ってるんだからと、まあ一種のお墨付きみたいなものでもあるから、これでいこう、という気になりましたね。
───スティーブ・ジョブズはまさに「パソコンとヒッピー」を体現していて、そのジョブズが『ホール・アース・カタログ』に絶大な影響をうけているわけですからね。
赤田 しかし「パソコンとヒッピー」というのは、お気づきかもしれませんが、ちょっと極端ないいかたではあるんですよね。じっさいにパソコンをつくったのはエンジニアたちで、いわゆるヒッピー連中ではない。エンジニアのなかで、ヒッピー的な発想をもった一部の人たちが、パソコンをつくった、ということですね。そういう人たちは、ヒッピーではなくて、欧米でジッピー(ZIPPIE、またはZIPPY)とよばれているそうです。これは、よく『スペクテイター』に登場をお願いしている、岡山のライブハウスのオーナーで美術展企画者の、能勢伊勢雄さんから教わりました。
禅+ヒッピー=ジッピー
───「パソコンとヒッピー」特集のインタビューで、能勢さんがジッピーについて述べられていましたね。
赤田 「ゼン・インスパイアド・ペイガン・プロフェッショナルズ」(禅に触発されたペイガンたち)の略称です。能勢さんによれば、ジッピーは1990年代前半、レイヴの流行とともに、イギリスからアメリカにつたわった言葉で、ZEN(禅)とHIPPIE(ヒッピー)をくっつけた存在であるともいいます。
───禅+ヒッピー=ジッピー、ということですね。『ホール・アース・カタログ』特集のつぎの「禅」特集(2014年、Vol.31)でも、スティーブ・ジョブズが大きくとりあげられていたのを思い出します。
赤田 ジッピー=ニュー・ヒッピーのように考えたらいいと思います。ヒッピーとジッピーのあいだには、さらに、イッピー(YIPPIE)という人種もはさまれて存在するのです。イッピーは、政治志向のつよいヒッピーの意味なのだそうです。
───イッピー、ありましたね。
赤田 ジッピーという存在は、ヒッピーからみると、ある種の異端者といえる。「THINK DIFFERENT」をとなえたジョブズも異端者ですが、僕は異端者に興味があるんですよね。そういう異端者をつうじて、ヒッピーをパソコンとむすびつけられないか、というのでつくったのが、「パソコンとヒッピー」ですね。
ワープロを使わなかった理由
───以前の赤田さんはどちらかというと、パソコンとかコンピュータの否定派というか、あまり興味がなかったようなイメージがありました。
赤田 ライターの竹熊健太郎さんと、ロングインタビューの仕事をしている頃でしたが、「赤田くんはキーボードアレルギーだから」といわれましたね(笑) パソコンをはじめるのは、たしかにおそかったですね。ワープロもつかったことがなかった。
───そうなんですか。ワープロをつかっていなかったんですか?
赤田 パソコンをつかってはじめて、ワープロの機能をつかった、というのが最初ですね。
───ハードウェアとしてのワープロ、OASYS(富士通)みたいなやつはつかっていなかった、ということですね。
赤田 つかっていないですね。ワープロを使わなかったのは、澁澤龍彦のエッセイに影響されていたからかもしれないです。
───澁澤ですか。どんなエッセイなんですか?
赤田 「ディジタル反対」という、デジタルの害悪を説くような内容で、「余はディジタルを信じない。戦後日本のモラルを荒廃させた元凶がディジタル思考」みたいな内容です。澁澤全集にも収録されているようですが。このテキストが『太陽』という雑誌に発表されたとき(1979年)、たまたま読んでいて、反時代的な態度にしびれてしまい、けっこう影響されました。
───なんと。赤田さんが澁澤に影響をうけていたとは、知りませんでした。
赤田 で、けっこう抵抗しつづけてきたのですが、澁澤のエッセイから約20年後、一冊の本を書く仕事が入ったことを理由に、「ディジタル反対主義者」から転向して、ようやく人並みにノートパソコンを導入した、といったしだいです。澁澤龍彦のように、精神貴族的な姿勢では、目の前の仕事がたちゆかなくなる現実がありました。ですから、だんじて、キーボードアレルギーではありません(笑)
───ということは、それまではずっと、原稿は手書きだったのでしょうか。
赤田 ずっと手書きでした。まあ、いまでもおおすじ、「あのときの澁澤は思想的には正しい」と思っているのですが。
『ホール・アース・カタログ』が気になっていた
───なるほど、おもしろいですね。『ホール・アース・カタログ』の話にもどりますが、そもそも『ホール・アース・カタログ』の特集をやろうと思ったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
赤田 『ホール・アース・カタログ』は、中学生のころから、名前だけは知っていました。『宝島』とか、『だぶだぼ』とか、『音楽専科』とかの雑誌をみてると、よく地球の表紙の本が出てきたんですよ。それは『ホール・アース・カタログ』というもので、ヒッピーがどうとかというキャプションがついている。ふつうの雑誌記事だとそのくらいの紹介で終わるんだけど、小野耕世さんという、アメリカのサブカルチャー全般にくわしいかたが書いた『バットマンになりたい』(1974年、晶文社)という本があって、そこでまるまる1章つかって、「全地球カタログ」といっているんだけど、『ホール・アース・カタログ』にはどんな意味があって、どんなコンテンツがのっているかというのを、ことこまかに、紹介しています。それは最初『SFマガジン』にのった雑誌記事だったんだけど、小野さんの説明のしかたがわかりやすく、すぐれたもので、それがずっとアタマにのこっていた。

源喜堂で『ホール・アース・カタログ』を発見
───なるほど。ずっと『ホール・アース・カタログ』が気になってはいたんですね。
赤田 それで、じっさいに現物を見たのはずっとあとで、1984、5年頃だったと思いますが、神保町にブックブラザー・源喜堂という古本屋があるんです。
───ありますね。美術の本がたくさんある。
赤田 源喜堂はいまも美術書などを販売している有名な老舗ですが、その当時、入って右手の奥に、洋雑誌のコーナーがあったんです。駐留米軍の、米兵が読み捨てた雑誌なんかが入ってきていたらしいんですが、そこにアウトドアの雑誌とかクイズの雑誌、『OUI』のようなお色気雑誌、よくわからない謎の雑誌などが、いろいろつねに山積みになっていて、そこに、『ホール・アース・カタログ』があったんです。
───ついに現物を見たわけですね。
赤田 そのころは飛鳥新社にいて、会社が神保町にあるので、昼飯のあとによく神保町の古本屋を回遊していました。それで源喜堂で『ホール・アース・カタログ』を見つけて、「ザ・ラスト・ホール・アース・カタログ」っていう、筆ペンでかいた、店でつけた帯がついていて、値段は当時3500円だったと思います。そのとき持ち合わせがなく、『宝島』などでフリーライターで活躍されていた中森明夫さんといっしょに本を見ていたんですが、中森さんからいくらかお金を借りて、買ったのをおぼえています。
───おもしろいエピソードですね。
赤田 その後の時代で、これは雑誌で読んだ話ですが、90年代のあたまごろ、伊藤穣一氏が当時『ホール・アース・カタログ』の日本代理店のようなことをしていたのだそうで、当時は『ホール・アース・レビュー』で、ハワード・ラインゴールドさんが編集長だったと思いますが、『ホール・アース・カタログ』を翻訳出版しないかというのを、伊藤氏がいくつか出版社をまわって、もちかけていたことがあったらしいですね。しかし、訳出の問題だったのでしょうか、いろいろな事情で、実現しなかったようです。それでけっきょく、『ホール・アース・カタログ』は、いまにいたるまで、日本語に全訳されてないんですよね。
───たしかに、あれを日本語に訳すのはたいへんそうです。
『ホール・アース・カタログ』特集が実現
赤田 そんなかんじで、ずっと『ホール・アース・カタログ』が気になってはいたんです。ヒッピーやカウンターカルチャーについて書かれた記事を読んでいると、枕詞みたいに、しょっちゅう『ホール・アース・カタログ』が出てくるようでもあったし。それで、前の会社(飛鳥新社)を辞めて、正式に『スペクテイター』に入って、腰をすえて『ホール・アース・カタログ』をやりたいということで、青野にその話をして。青野も『ホール・アース・カタログ』は以前からよく知っていた。じゃあやりましょう、ということになって。やるなら徹底的にやりたい、とにかく、つくった人に会いたい、会って話をききたい。あと、日本の著名なクリエイターで、『ホール・アース・カタログ』から影響をうけたと公言している人たちの意見もならべたい。そういったことで、前編・後編の『ホール・アース・カタログ』特集をやりました。
───なるほど、そういう経緯だったんですね。
赤田 昨年、スチュアート・ブランドの評伝が出たんですが(ジョン・マルコフ著、服部桂訳『ホールアースの革命家』草思社)、すごく情報が盛りこまれていて、読むと、以前どうしてもわからなかった経緯などが、たくさんわかって、たいへん有意義な本でした。『ホール・アース・カタログ』特集をやった当時は、かぎられた情報しかなくて。

───なかったですよね。
赤田 まとまったものがなかったので、それなら僕らでまとめてみたいと思って、ひと月半ほどで、集中してつくりましたね。青野とアメリカに取材にいって、現地でレンタカーを借り、『ホール・アース・カタログ』のエディターたちに、ひとりずつ面会して、話をきいて。いま考えてみると、当時はわかっていなかったことが、文脈とか、人的なつながりとか、いろいろありましたね。
アウトドア、ポートランド、ヒッピー
───『スペクテイター』は以前から、アウトドア系とか、ポートランドとか、比較的ヒッピー寄りのテーマについては、よくとりあげていた印象があります。
赤田 アウトドアは、青野が、以前からその系統に関心がふかいことがあるでしょうね。
───『ホール・アース・カタログ』にはコミューンの話がいっぱい載っていたじゃないですか。ポートランドなんかは、コミューンに近いと思うんですよね。興味のちかい人たちが、いっしょに集まって住むという。
赤田 ポートランドは家賃が安かったので、ヒッピーみたいな人たちが全米各地からあつまってきた、というのはあったみたいですね。しかしその後、「トレンディな都市」ということになり、家賃が跳ねあがってしまって、現在では、以前とはずいぶんちがう街になってるらしいのですが…。
スチュアート・ブランド
───そうみたいですね。そういう、わりとヒッピーに近いテーマのことを、『スペクテイター』ではやってきているので、そういう意味では、『ホール・アース・カタログ』特集をやるのも、自然なことだったと思います。しかしじつは、スチュアート・ブランドというのはすごく興味がひろい人で、『ホール・アース・カタログ』にも、その多面性が反映されていた。そのなかでもとくに、デジタルやコンピュータの話は、『ホール・アース・カタログ』にもいっぱい載っているんですが、いわゆる典型的なヒッピー的なもの、ネイチャー系やアウトドア系とはちがうので、日本では見のがされていたと思うんです。
赤田 そうなんです。コンピュータとかハッカーみたいなことを、正面きって言いだしたのが、スチュアート・ブランドだったんですね。
───まさにそうだと思います。
赤田 スチュアート・ブランドは『TIME』誌に、われわれはヒッピーからすべてを得たんだ、みたいな論文を書いたりしてましたね。
───ヒッピーのカルチャーと、デジタルのカルチャーは、一般的にはちがうけれども、ブランドのなかでは一体のものとして存在していたと思うんですよね。つまりブランド的な見方にたてば、ヒッピーというもののなかにすでに、デジタル的なもの、ハッカー的なものがある、というふうにもいえる。しかし、いわゆるヒッピーの一般的なイメージはそうではないので、ブランドという人も、ブランドのつくった『ホール・アース・カタログ』も、よく理解されていなかったんじゃないか、という気がします。その意味で、『ホール・アース・カタログ』特集はとても画期的な特集だったけれども、その時点では、主にヒッピー的なとらえかたがされていて、まだデジタルの側面が浮上してはいなかったし、赤田さん自身も、まだそこの確信がえられていなかったんじゃないか、というふうにも思えます。
赤田 確信はなかったですね。ハッカー会議というのをはじめたのも、ブランド氏とケヴィン・ケリーさんだったそうだけど、ブランドとケリーは『ホール・アース・カタログ』を通じて、いわば親分と舎弟のような関係だったりするのですが、そういう人間的な関係、つながりみたいなものも、当時はよくわかってなかった。アメリカでは1980年代からすでに、その認識(ハッカーはヒッピーの延長上にある)があたりまえだったと思いますが、日本では2000年を越えたくらいからようやく、すこしずつ、そういう認識が入ってきたという、そんなかんじがしますね。
日本のサイバーカルチャー
───日本では1995年~1996年くらいに、インターネットが普及しはじめて、そのころから、ただのパソコンのノウハウやHowToではない、コンピュータの文化、サイバーカルチャーみたいなものも、紹介されはじめました。さっき名前が出た『GURU』などの雑誌もそのころですね。
赤田 『サイバー・レボリューション』、『ネット・トラベラーズ』あたりの、すくないけれど、良書もありましたね。
───ありましたね。さきほど名前が出た伊藤穣一さんも、サイバーカルチャーをひろめるキーパーソンでした。
赤田 惜しくも亡くなられた、ライター・編集者の金田善裕さんとか。高城剛氏もそうです。
───そうですね。伊藤穣一さんも高城剛さんも、どこかヒッピーっぽいし、サイバーカルチャーを肌感覚でわかっていますよね。
ドラッグカルチャー
赤田 スティーブ・ジョブズの公式な伝記(ウォルター・アイザックソン著)をよんだとき、LSDをやっていた話が、まるまる一章ぶんくらい、えんえんと書かれていて、けっこう驚きました。日本ではこれまで、そういう話は、あまり活字にはならなかったんだけど、ジョブズの伝記に書いてあるということで、ああ、そういうことなんだという認識が、人口に膾炙したというか、しかもコンピュータの文脈で、ドラッグカルチャーが正面きって語られた。そのような印象がありました。パソコンとヒッピーの関係性をほんとうに知るには、ドラッグカルチャーとどれくらい近いかも、知らないといけないと、心底思いましたね。でもLSDは非合法なので、正面切ってオススメできないし、なかなかむずかしいですが。
───スチュアート・ブランドも『ホール・アース・カタログ』をやるまえの1960年代、メリー・プランクスターズの一員で、LSDをやっていましたよね(当時は合法)。
ヒッピーとハッカー・カルチャー
赤田 アラン・ケイ(「パーソナルコンピュータ」概念の提唱者)という人にすごい興味があるんですが、アラン・ケイは発言とか見てると、ノリが音楽家で、エンジニアというよりも、ジャズミュージシャンみたいな人ですね(アラン・ケイはプロのジャズギタリストでもある)。アタマがやわらかくて、発想がヒッピーっぽい。そういうヒッピー的なアタマのやわらかさが、パソコンをうみだすのに役立っている、という気がしますね。
───そうだと思います。
赤田 ダグラス・エンゲルバートというエンジニアにも関心がありますね。重要な人だけど、構成上の理由で、「パソコンとヒッピー」では、とりあげられなかったんですけど。
───エンゲルバートは重要ですよね。
赤田 桜井さんはご存じだと思いますけど、(ジョン・マルコフ著、服部桂訳『パソコン創生「第3の神話」』(2007年 NTT出版)をとりだして)、これはすごい本だと思うんです。
───これはいい本ですよね。

赤田 ここにのっているようなことは、アメリカの人たちで、ちょっとテックを知っている人、テックの仕事をしている人であれば、たぶん常識なんだと思うんですよね。
───そうでしょうね。『ハッカーズ』なんかもそうですが、ハッカー・カルチャーですね。『ホール・アース・カタログ』とつながっていますね。
赤田 こういう話というのは、ヘタをすると、アメリカの教科書にのりかねないような、そういうレベルの基礎的な話だと思うんですよね。そのくらい重要な事実なのに、日本に、ちゃんとつたわってない印象です。
本とコンピュータをつなぐひとたち
───NTT出版はこういうサイバー系の本も、いろいろ出していますよね。この本は2007年でけっこうあとですけど、ネットが普及しはじめた1995-96年頃には、ジャストシステムからサイバー系の本が出ていたのをおぼえています。ジャストシステムからは、紀田順一郎さんの本も出ていました。
赤田 そうでしたね。漢字の本とか。碩学の紀田先生は、初期パソコンの人でもありましたね。
───そうなんです。あと、晶文社の津野海太郎さんなんかも、雑誌『本とコンピュータ』をやりますが、このへんの、本とコンピュータをつなぐひとたちも、ある意味では、日本のサイバーカルチャーといえると思うんです。コンピュータにつよいけれども、もともとは本の人で、コンピュータの人ではない。
赤田 そういえば、『遊撃手』という雑誌がありましたね。
───それは知らないです。
赤田 1980年代のパソコン雑誌です。その後『Bug News』になりましたが、学生時代に愛読していました。かんぜんに文系のひとたちがつくった、コンピュータカルチャーのリトルマガジンです。紀田先生、青山南さん、鏡明さんなどが、連載をしていました。いわば、文系のプロが書いているので、自分のアタマには、たいへんはいりやすかったですね。紀田先生のような文学の素養のあるかたが、きちんと構成された日本語で書いてくれると、わかりやすい。
人文系とコンピュータ
───紀田さんのように、本とか文学にくわしい、人文系のひとが、コンピュータとかテクノロジーについて書くと、わかりやすいですよね。
赤田 荒俣宏先生もそうですね。
───まさにそうですね。そういう意味では、SFというのも、SFはテクノロジーをあつかう文学なので、接点ありますね。そういうふうに考えると、日本にもサイバーカルチャーにちかいものは、ずっと前からあった、ともいえるかもしれないですね。
赤田 紀田先生のような、人文系にもコンピュータにもつうじている、いわば「バイリンガル」的なひとの文章を読みたいというのが、いまでもありますね。たいてい、人文系かコンピュータ系か、どちらかにかたよってしまう。そのふたつの交わる点をさぐったというのが、「パソコンとヒッピー」のこころみだった、といえるのかもしれない。
「パソコンとヒッピー」特集
───そうですね。さきほどもいいましたが、『ホール・アース・カタログ』特集の段階では、まだヒッピーという文脈がつよくて、そこにデジタルの側面があることは、見えにくかった。それにたいして、「パソコンとヒッピー」特集では、デジタルの側面をはっきり打ち出して、「パソコンとヒッピー」というわかりやすいタイトルで、ヒッピーとならべてみせた。そこが、画期的だったと思います。
赤田 タイトルをつけたのは、青野です。
───そうだったんですね。これはほんとうに、いいタイトルですね。
赤田 シンプルですよね。
───ヒッピーのなかにもともと、パソコン的なもの、デジタルの側面がある、ということを、わかりやすく表現しています。これは、いままでの日本には、あまりつたわっていなかった。だから、この「パソコンとヒッピー」の号は、インパクトがあったんだと思います。
赤田 「パソコンとヒッピー」号は、制作者側に、いわゆる理系の人がいなかったから、こういうカタチになったと思います。理系と思われる参加者は、桜井さんだけですよ(笑)
───私は理系出身ではあるんですが、気質的には人文系ですね。この「パソコンとヒッピー」の号は、『スペクテイター』という雑誌をふりかえっても、当初からあったヒッピー的なものが、『ホール・アース・カタログ』特集をへて、だんだん深化していき、そこからデジタルの側面がはっきり出てくるにいたった、という意味で、ひとつの到達点といえるように思います。
「自然って何だろうか」特集
───そしておもしろいのは、次の「自然って何だろうか」特集(2021年、Vol.49)も、主役はスチュアート・ブランドで、『ホール・アース・カタログ』のアップデート版ともいえる『地球の論点』がメインテーマですから、いってみれば、この号は「裏・パソコンとヒッピー」みたいなものだと思うんです。
赤田 そうですね。スチュアート・ブランドが『地球の論点』で書いた、デジタル時代のあたらしい自然観みたいなものを、整理して紹介したということですね。
───スチュアート・ブランドというのは、「自然」「ヒッピー」の人だと思われていたけれども、そんなに単純な人ではなくて、それに反するような要素も最初からあった。つまり、「パソコンとヒッピー」みたいな両面性は、最初からブランドのなかにあって、『ホール・アース・カタログ』にもそれが反映されていた。「あたらしい自然」というのも、科学・テクノロジーに重きをおく自然観ですから、まさに「パソコンとヒッピー」と同じことで、科学・テクノロジーが「パソコン」にあたるわけです。
赤田 「ホール・アース・カタログ(正・続)」と「パソコンとヒッピー」、この3冊の『スペクテイター』の特集にかんしては、ブランド氏がつくったゲームのルールのなかで、はからずも動かされていたような気がします。
『スペクテイター』の「冒険」
───「自然って何だろうか」の号は、その意味で「裏・パソコンとヒッピー」なわけですが、ブランドは原発や遺伝子組み換えを推進する立場なので、なかなか問題提起的な、政治的な号でもあります。最近の「文化戦争」特集(2023年、Vol.52)は、正面から政治をあつかった号ですが、これもある意味では「パソコンとヒッピー」と同じく、単純ではない、複雑な対立構造をえがくものでした。最近の『スペクテイター』は、こういう問題提起的な、対立構造をあつかうものが続いているので、カルチャー雑誌としては、なかなか度胸があるというか(笑) すごいところに来てるな、というかんじはします。


赤田 やっぱり、そういうのがおもしろいんじゃないですか。パソコンとヒッピーとか、異なるものを混ぜあわせるとか、そこに驚きがある。ただ詳しいというだけだと、たいしておもしろくない。異なるものをかけあわせると、化学反応がおきるときがあって、おもしろくなる。いわば、ちょっとした発明になっている。『スペクテイター』は、この「発明」をやっていきたいのです。
───あと『スペクテイター』がいいと思うのは、読者に媚びていないところですね。読者に媚びずに、挑戦して、冒険している。冒険しているから、驚きがあるんだと思いますね。
赤田 媚びないのは、僕らの性格でしょうね(笑)(あとがきへつづく)
